So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン

世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:身体を鍛えれば精神性が上がるとか??」 [アセンション]

世にも奇妙なフツーの話「さくやさん:身体を鍛えれば精神性が上がるとか??」



(ここから)

身体を鍛えると精神も強くなる(頼もしくなる)・・って聞くことがあるけど、

ほんとう?

子どもは身体を鍛えることで、健全な精神を育むことが出来る?・・って

ほんとう?

問題行動を起こす子どもたちを、精神を鍛えなおすためにって過激な運動を

させたり、ツラい労働をさせたりすればいい・・って聞くけどほんとうに

そんなことで問題行動がなくなるの?

教えてさくやさ~ん^0^


「ものすごく言いたいことがあるんだけどね・・

先ずはそんなこと言ってたら、身体の弱い人は精神も弱いってことになっちゃうじゃない。

身体の弱い人や運動が苦手な人は精神的に弱くてダメな人ってことになっちゃうでしょ?

そんなのナンセンスだと思わない?


そもそも強い精神っていう意味が曖昧過ぎてよくわからないんだけどね。

強い精神が、よくいう誘惑に勝つことが出来るということなら、身体の強い人

運動をよくする人は悪いことも、ズルいことも考えないってことになるわね。

運動選手はみんな素晴らしい人格者ってこと?

身体を鍛えてる人や、身体を使って働いている人たちは、みんな誘惑に負けない

素晴らしい精神力を持っているってこと?

身体を鍛えてない人や、毎日座って仕事をしている人たちは、弱くて誘惑にも

すぐ負けてしまう堕落した人ってこと?


そんな風に考えたら、その考え方はまったくのナンセンスだってことわかると

思うんだけど。


それって修行者の考え方から来てるの。

身体を極限まで鍛えることで、精神性が高まる、悟りを開くことが出来る・・的な。

自分の身体を傷めつけることで、何かを得ることが出来るようになる・・的な。

修行することで恐怖に打ち勝つことが出来る・・的な。


身体を傷めつけたり、食事を極限まで減らすことで、快楽ホルモンがでるの。

それは、死の一歩手前まで行くから。


人は死ぬときには、身体からエネルギーが抜ける。

その時に、スルッと気持ちよく抜けるように快楽ホルモンが出るようにあらかじめ

準備してあるの。

だから、すごく怖い思いをしたり、身体を極限まで追い込むと、死を意識しはじめるから

その快楽ホルモンが出てくるの。

これはね、すごくハイになるのよ。

気持ちいいの・・だから、臨死体験をした人たちは気持ちよかったっていう人が

多いの。

いろんな幻想を見て、とてもステキだったっていうのは、この快楽ホルモンのおかげ。


すごく怖い乗り物になりたくなるのも、微量だけどこの快楽ホルモンが出るから

それを感じて恐怖が快感にかわるのよ。

だから、何度でも乗りたくなる。

でも、刺激に慣れてしまうと快楽ホルモンの出が悪くなるのね、だからもっと怖い

乗り物に乗りたくなるのよ。


ハイになるから、何でもできる気になるし、怖いものもなくなる気がするの。

そして、恐怖に打ち勝つ修行?とかしたら、恐怖がなくなり自由になるって思われてる

けど、それはその恐怖に鈍感になって行くってことなの。

これはまた余談になるけどね、あなた達が考えてる恐怖そのものが宗教でつくられた

幻想なんだからね。

先ず一番の恐怖は死に対するものでしょ?

死は怖いものだと刷り込まれてしまっているから、死を恐れる。

そして、死を恐れない精神性を養うために暗闇の中を歩き回ったり、じっと

座っていたりするんでしょ?

そして、死と同じように見えない世界は怖いと思わされている。

見えない世界には魑魅魍魎がいて、自分を堕落させようと誘惑して来たりする。

それに打ち勝つ精神性を養わなければならないってね。


死は怖くないし、見えない世界も怖くはない。

だって、ワンネスなんだから。

肉体の目で見えない世界でも、波動の軽いところはとても楽しいところなのよ。

そして、誘惑なんてしないわ・・何を誘惑だというのかも私にはわからないけど(笑)


そして、修行僧と言われる人たちのもう一つの目的は特殊な能力を身に着けること。

そのために身体を極限まで追い込むの。

そうすれば、身体の感覚を研ぎ澄ますことが出来るから。

身体の感覚を研ぎ澄ますことが出来れば、超感覚を感じることが出来るから。

でも、そのやり方は私から見たらとても危険なことだと思うけど。

余程気をつけておかないと、波動の重いところとつながってしまうことになる。


そして、子どもたちに過激な運動やツラい労働をさせることで矯正する?

有り得ないわ。

それは、恐怖で支配しているだけね。

ツラくて、怖くて仕方がないから、言うことを聞くふりをするだけ。

そして、本当に矯正することが出来ましたっていうなら、それは思考を停止させた

だけのことなの。

だいたいねぇ~、矯正するって言う考え方自体がその子どもに対しての愛がない考え方。

子どもに対する尊敬も感謝もないわ。

ただ、人形のように人の命令を黙って聞く子どもを良しとしているだけでしょ。

だから、自分の表現をする子ども、自分の意見をはっきりと持っていて、自分が納得

するまで主張する子ども、大人のいうことを聞かない子ども(反抗する子ども)を

問題行動をする子どもっていうんでしょ?

だから、矯正という言葉を使うの。


そんな子どもたちを過激な運動をさせたり、ツライ労働をさせることで、恐怖をあたえ

思考を停止させるのはもっての外。

愛(自分に対する尊敬と感謝の気持ち)の欠如を訴えてる子どもたちに、もっと愛の

ない対応をして、その子どもたちが素直になるとは考えられないでしょ。

愛のエネルギーを送ることの方がよっぽどいいと思うけどね、私は。


もっと話したいんだけど、終わらなくなっちゃうから今日はここまでにしとくわね。

とにかく、身体を鍛えれば精神性が上がるとか、精神力が養えるとか、人格者になれるとか、

そんなことは無いから。

身体を鍛えるのが好きな人は鍛えればいいけど、鍛えなければ精神性が養われないなんて

ことは絶対にないから。

子どもたちにそんなことを押し付けないでね。


大人たちも同じよ・・まぁ、体力がある方が身体を動かすには楽だから、体力をつけたければ

運動してちょうだいね。


あなた達をこころから愛してるわ~~」


ありがとう、さくやさん!

私たちもさくやさんをこころから愛してるよ~~^0^

(ここまで)



身体を鍛えることが出来るならばそれに越したことはないと思いますが、そこに精神性を

持ち込み強くなると思うから問題なのですね。


身体を鍛えるスポーツで代表的なのは剣道、柔道、空手などがありますが、あれは身体の

鍛錬と武術を学ぶと同時に礼儀作法も学びます。そして、鍛錬と同時に何度かの試合経験を

経て自分自身に対する自信をつけていくことにあります。

その自信が何ものをも恐れぬ心を作り多くの問題に対処する自信を深めるものでしょう。

ただ、これに良しあしがあり一歩道を誤ればただのチンピラに泣てしまいます。

また、その心の自信をつけられるかどうかはスポーツの種類や内容によるものではなく

ひとえにその人自身のものの考え方に左右されると思います。

だから、スポーツだけがその対象ではなく、学問や語学などの資格取得などもそれに当てはまる

と思います。ものごとは広く考えてみる必要があるでしょうね。





nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。