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世にも不思議な奇妙なフツーの話「アシュタール:げに怖ろしきものは^^;」 [アセンション]

世にも不思議な奇妙なフツーの話「アシュタール:げに怖ろしきものは^^;」




(ここから)


最近欲しいもの無いなぁ~~・・って思ってた私。

何気にネットを見てるとあるショッピングサイトに・・・

あ、これっていいよね・・あ、これおしゃれ・・あ、これあると便利かもぉ~~・・

って、次から次へと欲しいものの嵐。。。

さっきまで、欲しいもの無いよねぇ~~って思ってたんちゃうん、私(爆)

げに恐ろしきものは、ショッピングサイトなり^0^;


では、今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

あなたが欲しいと思うもの・・それをちょっと見てみてください。

欲しいと思うもの・・・そこにはあなたの怖れが見えます。

怖れから欲しがるものがほとんどなのです。

もちろん必要なものもありますが、いまあなた達の社会で売られているものの

ほとんどが怖れをベースにしているものです。


健康器具、サプリメント、美容用品、など多くの商品が出ては消え、消えてはまた

出る・・

ダイエット商品などがその最たるものです。

ダイエット商品の種類がたくさんあって、そして売れるのはどうしてでしょうか?

ダイエットしなければ、痩せなければいけないという怖れをついているからです。

そして、少しでも楽してダイエットしたい・・という気持ちをつかんでいるからです。


ダイエットの言葉を使えば、あなた達は注目します。

何キロ痩せた、何センチ小さくなった・・その数字にあなた達はひかれて、次から次へと

商品を買い続けることになるのです。


どうして、ダイエット商品、何キロ痩せた、何センチ小さくなった・・

に惹かれるのでしょうか?

それは、太ることに恐怖があるからです。

どうして太ることに恐怖を持っているのでしょうか?

そこにはたくさんの思考のミスリードがあるからです。

太ると病気になる、太ると見た目が悪い・・などなど。


まず、何キロ痩せた・・というキャッチコピーの商品をあなたが欲しいと思う理由を

考えてみてください。

もちろん痩せたいからですね。

では、どうして痩せたいのか?・・そこを考えてみてください。

病気にならないため?・・その体重でも、いま健康ですね、ならばそのままでも良いのでは

無いでしょうか?

いまその体重で病気になってないのですから、痩せる必要はないですね。

(ここで病気といっているのは、数値とはまったく関係ありません。

血圧が高い、コレステロールが高い・・だから病気、健康ではないという考え方は

ナンセンスです。

数値はいくらでも変更することが出来ます。

数値を変えれば、いくらでも病気?病人?をつくりだすことが出来るのです。

ここでいう病気とは、生活に何も困っていないということです。

数値が悪いと言われたとしても、あなたが身体に異常を感じていなければ病気ではないのです。

血圧・・それは人それぞれの個性があります。

160でもそれがその人にとって不具合がなければ、それはその人にとっては正常値なのです。

みんなが同じ血圧になる方がおかしいのです。

そして、先ほども言いましたが、数値はいくらでも操作することが出来ます。

10年前までは、180までが正常値だったのです・・それが今は130までになっています。

10年でそこまで人間の身体が変わるとは思えません・・と言うことは、一方的に意図的に

操作されているということです。)


痩せなければ見た目が悪い?・・見た目は何も関係ありません。

だって、いまの姿形でも人間関係において何も問題はないですね。

ならば、そのままでいいじゃないですか?

痩せなければパートナーが見つからない?

見た目だけを変えても(太った痩せたなど見た目を変えるうちにも入りませんが)

仕方無いのです。

太ってるから、痩せてるから・・などあなたのエネルギーを感じることなく、

姿形だけを問題にする人といい関係を続けることが出来るのでしょうか?

人間最初は見た目・・などと言われているようですが、それは波動エネルギーのことを

知らなさすぎます。

最初は見た目・・ではなく、最初もず~とその後も波動エネルギーが合うか合わないか、

判断はそれだけなのです。


話がそれましたのでもとに戻します。

あなた達の社会では、商品を売るために怖れを使います。

痩せなければ病気になります、筋肉をつけなければモテないですよ、一日に栄養を何十種類も

摂らなければ健康でいられませんよ、子どもは大きく成長できませんよ、

この服を着なければ流行遅れになります、ウエストがくびれてヒップが上がっている身体が

美しいのです、家を買わないと老後住むところがなくなりますよ、保険に入っていないと

いざという時困りますよ。。。。などなど。

特に怖れをベースにしているのが、医療ビジネスです。


勝手に決めた基準で、それが正しい基準だとミスリードし、そこに当てはまらなければダメ・・

そういう風潮を創りだし、商品を売るのです。

生きていくのに本当に必要なものはそんなにありません。

だから、商品を売るためには、次から次へと怖れを創りだし、手を変え品を変え

アピールするのです。

同じ内容のものでも売れなくなったら、パッケージをかえて新商品としてまた売り出せば、

目新しさでまた売れるのです。


あなた達の怖れがなくならない限り、この流れは続きます。

必要ないものを買うために、必要ない労働をしなければいけないという悪循環に陥るのです。

反対に言えば、怖れがなくなれば本当に生きていくのに必要ない商品は売れなくなるのです。

怖れがなくなれば、あくせくと必要のない労働をすることなく、ゆったりとした豊かな生活を

送ることができるということです。


何か欲しい・・と思った時、それは自分の中の怖れから来ているのではないか?・・と

少し考えてみるようにしてください。

健康になるためにと、健康器具を買い、その支払のためにイヤな仕事をしてストレスを

ためるより、ゆったりとした時間を持って好きなことをして楽しくしている方が

健康を維持できます。


怖れを手放してください。

そのためには、常識と呼ばれるもの、声高に叫ばれている情報に疑問を持つように

してください。

あなたが何を怖がっているのかがわかれば、怖れを手放すことが出来ます。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう アシュタール! 感謝します。

(ここまで)


私たちは本当に生きるためには最低限何があれば事足りるのでしょうか?

それは衣食住に必要なものだけだろうと思います。

それ以外は娯楽、健康、勉学、仕事、社会的な様々な活動に必要とされるものです。


考えてみれば、食にしてもきちんと自然のもの(主に野菜、果実など)を主食として食べ

それ以外の肉類、魚類は最低限度あれば不健康にはならないでしょう。

そうすれば必要最低限の食品だけで十分なはずです。


ところが、そこにコーヒー、甘いお菓子やケーキ、様々なスナック類などが嗜好品として

出現します。それらはほとんどが自分の小腹を満足させたり、甘い誘惑を満たしたり

と言ったものだろうと思います。本来ならなくてもいいものです。

私が子供時代のころは朝昼晩の3度の食事以外のおやつなどはありませんでした。

それでも、なければないと分かり切ったものなので、特に食べたいと思うこともありませんでした。

唯一、病気で入信した時の3時のおやつは格別待ち遠しいものでしたが、退院したらそれも

なくなりましたが、代わりに飴がたまにあるくらいでした。

でも、時代が進むにつれ、様々なお菓子類が近所の駄菓子屋さんに並べられているのを見て

欲しいと思い、親にこづかいをせびり買って食べるという習慣が身についていきました。

これも最初はそんなに多く並んでいるものではりませんでしたが、次第に商品の数が増え

パンなども最初は数種類しかなかったものが、さらに甘く美味しい菓子パンがまざり、食べたい

という欲求をさらに膨らませるには十分過ぎるほどの種類でした。

今はどうでしょう。パン一つとってもものすごいくらいの種類がパン屋さんだけでなく、スーパーや

百貨店には並んでいます。それを絶対食べないぞと我慢する方が無理な話です(笑)。


ようするに、大部分は商業的に売るために増えてきたものが今の世に見られる商品です。

中にはなくともいいのもかなりあるでしょう。

だから、今欲しいものがあったとしたら、それが本当に今必要なものなの?

アシュタールが言うように商業的にないと困ると思わされて誘惑されているものではないかと

いうことをよく考えてみる必要はありそうですね。


先日、アシュタールが語っていた「これから先、味覚が変化して身体が受け付けなくなる食べ物が

増えてくる」ということから、今のうちに味わうために少しは食べた方がいいのでしょうかね。

う~ん、悩ましい!(笑)



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破・常識 あつしの挑戦「アシュタール:あなたが創造したもの・・・・」 [アセンション]

破・常識 あつしの挑戦「アシュタール:あなたが創造したもの・・・・」


(ここから)


今日の破・常識!



人のことをうらやましがったり 

        悔しがったり・・などいらない・・・らしい(笑)



アシュタールからのメッセージをお伝えいたします。






「こんにちは こうしてお話し出来ることに感謝します。

あなたの世界では、物は有限だと教えられています。

限りがあるものをみんなで分け合って

(取り合って)いるのだと・・

だから誰かが何かを得たとき 

なんだか自分のものが減ったような気がするのです。

誰かが幸せだぁ~~ってつぶやくと 

自分の幸せが減ってしまったような気がするのです。

良いですか? すべては波動で出来ています。

だから、すべては無限に創造できるのです。

あなたが手にしたものは 

あなた自身が創造したものであって

誰かの持ち分を減らして手にしたものではないのです。

だから手にしたものに対して 

うしろめたさを感じることは全くありません。

ましてや誰かが何かを手にして喜んでいるのをみて 

複雑な気分になる必要はないのです。

誰かが幸せだ~~って喜んでいたら 

一緒に自分のことの様に、同じように喜んでください。

いいなぁ~~、うらやましいなぁ~~って思うのではなく、

自分のこととして喜んでください。

そうすれば波動(エネルギー)が共振して 

あなたにもその喜びの現実が創造出来るのです。

分かりますか?

いいなぁ~~、うらやましいなぁ~~、って

思うということは、自分はそうではない

(幸せではない)と宣言しているのと同じですから

そういう現実を創造してしまいます。

ましてや自分の取り分を取られた

などというような思考に陥ってしまうと

もっとそういう気持ちになる

現実を創造することになるのです。


もう一度言います・・

あなたの欲しいものは 

あなたが創造していますので、

無限になんの制限なく受け取ることが出来るのです。

誰かの持ち分を減らしているのではありません。

あなたの持ち分を誰かが取っているのでもありません。


すべては無限に創造することが出来るのです。

あなたの思考のエネルギー(波動)で 

無限に創造することが出来る・・

ということを思い出してください。


思考はエネルギーであり 

思考することでなんでも創造出来ることを

思い出すことが出来れば 

何もない空中から物質をとりだすことなど

簡単に出来るようになります。

あなたの世界を満たしている(目には見えないですが)

エネルギー(波動)を固めて(重くして) 

物質化することが簡単に出来るようになります。

(水蒸気を冷やして氷を作るのと同じようなことです。)

だから人のことをうらやましがったり 

悔しがったり・・などいらないのです。

あなたの欲しいものは無限に創りだせるのですから・・

誰かが何かを手にしたり幸せを感じているときには 

一緒に同じように喜んでください・・

その喜びと共振してください。

喜びの波動が喜びの現実を創造します。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール!

(ここまで)


誰かが良いものを手にすると「いいな~」っと思う感情ありますね。

我が家は築50年の古い家なので、近所で立派な新築された家なんか見るたびに

思わず「いいな~」という感情が湧いてしまいます(笑)。

住めば都と言うように我が家も戻ってきたときにはずいぶんとみすぼらしく感じましたが

今では慣れてしまい、むしろ住む場所がある方がうれしく感じてます。

中には住む場所もない人がいることや、以前、都下では賃貸で暮らしていましたので

住む場所が曲がりなりにもある有り難さというのがよくわかります。

もっとも、アシュタールの言うようにすべてが創造できるのならば、朝起きたら

ものすごい豪邸に住んでいたなんてことが現実になるかもしれないですね(笑)。


すべての物質は空間に満ちているエネルギーが凝縮して出来たものということは

理解できます。ただ、私たちは家であれば、その材料が山林の木を伐採し、それを

板や棒に加工して建築材として利用することで建てているという光景を毎日のように

見ているので、すべてはそのような過程を経ないと出来ないと思い込んでします。

また、家に限らずすべてのものは必ず誰かの手を介して作られるという過程を経て

いて、それらはほとんどがお金を出さないと手に入らないという思考を持っています。

そのため、何もないところから創造することが出来るんだよと言われても、そうした

思考が邪魔をして「そんなことが出来るはずがない」と否定してしまうところがあります。

だから、出来ないと言えるのでしょう。

そして、誰かが実際に目の前で手のひらを差し出して、突然1個の飴を出現させたと

しても信じられないことでしょう。

インドのサイババがそんなことをやって見せていましたが、誰もが最後は手品であり

インチキだと結論付け、実際に出現したビデをテレビで報道されても最後には否定

されていました。

そんなものです。私たちの思考は・・・・。

要するに「出来ない」という思考の刷り込みがでかすぎるんだと思います。

これからは、それを一つずつ取り除きながら「出来た」と積み重ね「何もないところから

創造する」ことを思い出していく必要があります。

そのためには、今回述べられていた「うらやましい」という感情ではなく、それを

あたかも自分のことのように喜び共感、共有することが求められます。

それを繰り返していけば、いつかは・・・・。・・・・ですね。








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