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破・常識 あつしの挑戦「アシュタール:神という概念を手放してください!」 [アセンション]

破・常識 あつしの挑戦「アシュタール:神という概念を手放してください!」




(ここから)

今日の破・常識!



どこの次元にいようとも すべての存在は平等!




では、アシュタールからのメッセージをお伝えします。





「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。

あなた達は よく”神”という言葉を使います。

すべてを知っていて、なんでも出来る存在・・として!

神様、助けてください・・神様、私はどうしたらいいのでしょうか?

どうぞ私をお導きください!・・と祈る姿を見ています。

私たち宇宙存在を”神”として見ている人たちもいます。

それは 大きく違います。

あなたが持っている”神”という概念を手放してください。

”神”を外側に造り出さないでください。

あなたが思っているような”神”は存在しないのです。

あなたを愛へと導き、

どうすればいいかを知っているのは、あなただけです。

あなたのハートがすべてを知っています。


あなたが あなたの”神”なのです。

誰でも ありません・・あなた自身なのです。


ですから 外側に 救い、助け、許し、・・を求めないでください。

”神”に 何かを求めようとする前に自分に求めてください。

”神”に愛されようと思う前に自分を愛してください。

あなたの概念にある”神”は、あなたからパワーを奪っていきます。

なぜならあなたが、あなたの外側に”神”を 求め、それを認める・・

ということは、あなたには、自分を生きる、自由に表現する、

現実を創造する・・力が無い・・と認めることになるからです。

誰か(万能の神的存在)に頼らなければ 

自分の人生を生きられない・・と、

その存在に自分の大切な自由を与えてしまうことになるのです。


あなたは 誰に頼らなくても 立派に

自由に好きなように生きていけるのです。

あなたが、あなたにとっての”神”なのです。

あなたのことを一番知っているのは あなた自身です。

あなたのことを一番愛しているのは あなた自身です。

あなたの願いをかなえてくれるのは あなた自身です。


あなたの外の存在を崇め 従うことはやめてください。

例えどんなにすばらしいと思える存在であっても、

それは”神”では ありません。

あなた達の歴史の中では、ゆがんだ考え方を刷り込まれてきました。

”神”は 絶対的な存在で、何が何でも従わなければいけない・・

そうでなければ罰を受ける・・あなたは罪深い存在だから 

その罪を許し導いてくれる存在が必要だ・・などなど・・

たくさんの間違いを刷り込まれてきてしまいました。


でも、もうその波動領域は終わったのです。

あなたが自分自身の人生を創造している 

創造主だということを思い出してください。

そして隣の人は、隣の人自身がその人の人生にとっての

創造主だということを認めてください。

あなたがあなたの人生の創造主であるのと同じように、

その人は、その人の人生の創造主なのです。

それがわかれば、お互い尊厳を認め合い 

尊敬しあえる関係が出来ます。

そこには干渉も 支配も コントロールも存在しません。

あなたの人生の中に あなた以外に”神(創造主)”はいません!

どこの次元にいようとも すべての存在は平等です。

人間だけではなく、すべての存在(エネルギー)は平等なのです。

すべての存在に上も下もありません。

すべての存在が、唯一 

絶対無限の存在の意識を持っている同じ魂なのです。

すべての存在は、元々はひとつなのです。

辿って行けば、すべて一つの絶対無限の存在に戻るのです。

ですから自分以外の誰かを崇拝したり 

あがめたり 許しを請うなどはやめてください。

外側に ”神”がいる・・その存在は、自分より優れているので、

その存在の言うことを聞き従わなければいけない・・と、

崇拝するのは、マトリックス(幻想)の世界です。

マトリックスの中で 

あなたを支配しようとする存在が作り上げた幻想です。

あなたの素晴らしい自由を渡さないでください。

誰かに応えや 助けを求める前に 

自分にどうすればいいか? 聞いてください。

必ず答えてくれます。

広い波動領域を思い出すために・・

あなたが造りだしている”神”という概念を手放してください。


私たち宇宙ファミリーは 

今 あなたにとって必要だと思う情報をお伝えしています。


あなたに愛をこめてお伝えいたします」



ありがとう、アシュタール!


(ここまで)


子供の頃から神とともにいるという生活をしてきた人には到底受け入れられない考えだろうと

思いますが、アシュタールの語るように主人公は自分自身であり、作られた神ではないと

いうことです。

私は今ではすでに神に頼る、祈る、求めるという考えはありませんが、若い頃はそのような

存在を求めていました。でも、その神は結局何もしてくれないのです。

ただ、神仏にまつわる行事は参加します。あくまでも形だけのものです。不謹慎と言われる

かもしれませんが、拝んでいてもその振りをしているだけです(笑)。


神や仏、そしてアラーなどを崇拝することで人類はどれだけの争いをしてきたのでしょうか?

聖書に出てくる神は平和と愛を説きながら一方では全く反対の争いを認めています。

それは神の名の元に行えば許されるという思想です。

それは今でも世界各地でありますね。大きなものとはキリスト教徒とイスラム教の対立です。

EUの移民政策はその対立をさらにあおるものとなっています。というか、それが本当の目的

であることを誰も知らないからです。


聖書には愛を説きながら争いも認めるという類似した考え方は中にいくらでも出てきます。

必ず、矛盾対立するような思想を織り込んでいます。でも、多くの人はその矛盾を受け入れて

しまいます。なぜなら、「それすら神はお許しになるのだから・・・・」と自らを許すからです。

旧約聖書は7日間に渡って天と地を創り、次に地上に獣と家畜を創り、続いて海と地上にある

生き物を治める人を創った。というところから始まるのですが、最初から最後まで主人公は神です。

そして、私たちは罪深き存在であるという教えはエデンの園であった禁断のリンゴを食べた時から

生まれたというのがその下りですが、それに従うと私たちは生まれながらにして罪人ということです。

実に強烈ですね。在任だから許しを請いなさい、そして神に従いなさいと従属することを教え込んで

いるのです。それは教会では何回も朗読することですり込んでいきます。

人は表層意識において一度洗脳されてしまうとなかなかそのブロックを外せません。

自らが自らを縛り付けてしまい、他の考えを受け入れなくなるからです。非常に巧みなやり方です。


幸い、日本は良いとこ取りの混信教でどの宗教も認めてしまうので表だった宗教対立というのは

ありません。しかし、神仏に頼るというのは昔からありますのでそうした対象への依存はゼロでは

ないでしょう。祈願がかなうというのは自分の思いが相手に届く、あるいはそう信じることが願いを

成就させているものであり、神仏ではありません。


しかし、神仏に頼ってしまうと自分自身の判断するべきことを他人に預けてしまうことになるので

自分自身の主導権を明け渡すことになり、神仏に従いますと行っていることと同じことになります。

たとえば、これを誰か人に起きえてみるとわかります。夫婦で言えば妻が夫にすべて従いますと

行っていることになりますが、そのようにして自分の人生を明け渡してしまっていいのでしょうか?


極端に言えばどこへ行くのも、何を言うのも、何を食べるのも決めてもらうということになります。

ただ、それが万能の神だからという理由がそこにあります。

もう、そんな時代ではないでしょう。これからhすべて自分できめていかなければならない時代に

なりますので、神仏に頼ると言う考えは捨てなければなりません。



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全ての存在が神の一部、そして神の全体ですからね。
一人一人の力がどれほど大きいものかはまだほとんど誰も知らないでしょう。
それはもっと波動が軽くなってから知るのでしょうね。
by お名前(必須) (2017-03-22 09:24) 

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